◆◆ 本章 ② ◆◆
「美樹。永介。一番怖い、地獄の『異常時』それはね、何と言っても『戦争』だよ」
私と永介は互いに目を見開いて顔を見合わせた。母は深い溜め息をついている。リビングの中に吹く筈のない風が通り抜けた様に思えた。
私は息を呑んで尋ねた。そこから先、母の話を聴くには覚悟が要る気がしたからだ。永介も同じ空気を感じ取っていたはずだ。
「お母さん…戦争って…太平洋戦争の事?当時は子供だったんでしょ?」
「そう。十歳の時に終戦を迎えたのよ」
「お母さんは東北かどこかの田舎で疎開してたって言ってなかったっけ?空襲を受けた経験でもあったの?」
「美樹。質問は一つずつにしてちょうだい」
つい矢継ぎ早に尋ねた事を言った後で後悔した。待とう。聞こう。おそらく「時」は来たのだ。母はすべてを話す時が。私は母からすべてを聞く時が。
「私達家族が戦時中暮らしていたのは北海道よりも北の「樺太」という土地なの」
「樺太?」
来た。案の定、いきなり来た。初めての地名が。
私はこの女性(ひと)の娘を五十五年生きてきて、初めて聞かされる地名、そして初めて明かされる真実の予感に肌を泡立たせた。
「父は鉄道の会社。母は家にいたけど、みえちゃんは裁縫の仕事を、利夫兄さんは戦争最後の年には十六歳になったけどそれまでは学生よ。徴兵の召集が来るでもなく、向こうにあった製紙工場で働き出した頃だった。自然も豊かな土地だったよ。そしてね…」
母は息を吸った。
「私には二歳歳上の姉がもう一人いたのよ」
それを聞き、雪と氷に閉ざされた心を覆う、暗い冬雲の切れ間から光明が一筋射し込んだ。二十五年前、母の書きかけの原稿の伏線。それを本当に長い長い時間をかけて回収した一言だった。
「止まったままの自叙伝の、浩子さんって言うお姉さんね」
「何だい、美樹。見て覚えてたのかい。まぁそう言う事だったのさ、私達家族は六人だったんだよ。」
「覚えてるよ。あの浜茄子の花が咲いてた浜辺って言うのは樺太だったのね」
「そう、樺太の浜辺。終戦の年、みえちゃんは一回りも上だろ?私は十歳、ひろちゃんは十二歳。むしろ毎日一緒に過ごした時間が長かったのはひろちゃんだったんだよ。
浜茄子の花が咲き誇る季節はね…私ゃあの通学路が本当に大好きでね。天気のいい日にゃつい足を止めてずっと見惚れてた。その度、ひろちゃんは学校に遅れる遅れると…私を急かしてたんだよ」
永介は傍でタブレットを何やら操作していた。母が話しているのにと、気になって覗くとGoogleEarthで樺太を検索していた様だった。それを見つけると、私達に見せて声を上げた。
「これだね、樺太!ロシアでは『サハリン』って呼ぶのかな。ここ…南北に凄く縦長だね。日本に重ねたら、余裕で北海道から東京までカバーしそうだね」
「ほう…今はこんな事も出来るようになったのかい?凄い世の中になったもんだねぇ。世界中の国が観れるのかい?」
「うん!そうだよ、ばぁちゃん!ほら…こうして、こうするとね、ストリート・ビューって言って、人の目線の視界にも切り替えられるんだ。ばぁちゃんのその通学路もね、見つけられるかもしれないよ!」
「永介!」
私の苛立ちは今度は永介に向いた。今はどうしても母の話の流れを止めたくない。
私の心に二十五年も前から…いや、正確にはあの借金の取立て屋に怯えていた三十年前。みえちゃんが言った「私達姉妹には恐怖が欠落している」の言葉を聞いたあの日から。ずっと心を凍りつかせていた母や母の家族の秘密が溶け出そうとしている。
どうしても話の流れを止めたくない。どうしても聴き通さねばならない時だと、運命がそう言っていた。
「お願いだからそれは後にして。今は…お母さん。どうか…どうかすべてを話して。私はあなたの娘として、どうしても知りたいの」
永介に怒り、呆れ、そして懇願していた。
母娘(おやこ)と言うのは不思議な物だ。母も私へやはり同じく、『どうしても今、話さねばならない』そう運命に導かれているのを感じているらしい。それが伝わる。いや、私達の運命が同調(シンクロ)させているのだろう。
母はゆっくり頷いた。
「浜茄子の花というのはね…一日で枯れ落ちてしまうんだよ。知ってたかい?
私ゃね、その与えられた命の時間を精一杯、咲き誇ってね、その役目を終えてく花達を、子供ながらに人間みたいだなぁ…そう思って見ていたんだ。
本当はね…戦争になんて起きなければ、絵描きになりたい、役者になりたいとね、やりたい事に向かって勉強して頑張ってゆける自由な世の中だったら…どんなにいいかと感じていたよ。
そして平和な世の中になって、その限られた時間、この花の様に美しく咲いてね、人を魅了し心を癒し…散ってゆく。
それならせめて私だけは…その花達の一番輝かしい時間を見届けてやろうじゃないか。
そんな事を毎日毎朝、子供ながらに感じていたよ。それがね、美樹。私がやりたい事に向かう人を応援したかった理由のね、まずは第一の根にあるんだ」
「まるで何て言ったっけ?歌の『世界にひ〜と〜つだけの花〜』みたいな話ね。第一の根というと?」
「そう、第一だ。と言う事はだ。第二の根もあると言う事だよ。
その第二の根を植え付けた経験が私達三姉妹にはあったのさ。
実を言うとね…さっき美樹が覗いた私のブログ…『やまね雨』の中身はね、その時の事を書き残そうとしてたのさ。
私ゃね、たしかに一度『自叙伝を書く』と言ってたよ。戦時中の子供の頃からのね、ずっと生きてきた足跡を辿ってね…
自慢じゃぁないが、私の人生経験は豊富で濃厚だよ。戦争も災害も、疫病も大きな仕組みを変えた外角もぜ〜んぶ経験してきた。会社経営もさせてもらったし、借金苦もだ。
美樹、あんたを授かって人並みにね、子育ても経験させてもらったよ。
だけど…実はブログはまだずっと、その子供の頃の時点で下書きの段階なんだ。あの時の事、何度も書き直したり、書くのを躊躇してたり、なかなか進まずにいるんだ」
「え!?ばぁちゃん、まだ一投稿もしてないの?毎日頑張って打ってるな〜と思って見てたけど、ブログを教えたのもかれこれ四年前じゃん」
永介は驚くが、それは私も同じだ。もとより今日は、驚愕の連続となる事はわかり切っている。
「永介、お前もまだまだだねぇ。ばぁちゃんに教えたなら、ばぁちゃんがどんなのを投稿してるのか、チェックしなきゃ。会社でもこれから後輩も増えてくんだろからね、そうやって丸投げしたらダメだよ」
「わかったよ。ほら、母さんもまたイラつくから、続きを話してよ」
「そうね。聞かせて欲しいわね」
私は冷静だった。母の四年がかりでも進まぬブログ、二十五年前で止まった原稿。そして何よりも七十五年前に樺太の地で、母の家族に何が起きたのか。その真実が明かされる前に私の身体はその重みで押し潰されそうになっていた。
「とにかくね、私はひろちゃんと一緒の事が多かった。ひろちゃんも私の事をよく面倒見てくれた。それだけじゃない。近所の子供達とはいつも一緒にね、大人の目を盗んで浜辺や山、川で遊んだし、友達の家の畑の手伝いをしたり、誰かの家に集まって勉強したり。
男女問わず仲は良かったね。そしてひろちゃんは女の子ながらもグループのリーダー格で、姉御肌って言うのかい?頼もしくみんなをまとめて、私も憧れてたもんだよ。
樺太も北半分は隣国ソ連の領土でね…あんたらは知らんだろけどさ、外国と隣接する土地があった訳だから、それなりに緊張はあったんだろね。それにしても私達は内地と比べても比較的、落ち着いて暮らしてたと思うよ。
『贅沢は敵だ』の時代だ。どこの家庭も貧しく質素だったけどね。日本は戦争に勝って、そして私達もお国の為に教師になりたい、軍人になりたい、医者になりたいと夢を語ってたもんさ」
「お母さんやひろちゃんは、何になりたかったの?」
母は遠くを見つめるよな目をして答えた。
「私はお国の為に働くみんなが、腹一杯食べられる食堂をやりたい…それもね、小さくてもいいからあの浜辺に、浜茄子の花の季節が来れば辺り一面を花に囲まれるあの浜辺にポツンと一件…店を構えたい。そう言っては皆に街の中に建ててよと、責められたもんさ。
ひろちゃんは…女の政治家になりたいと言ってたよ。当時は大それた話だよ。そしてね、あの頃の日本は日本の為だけに戦っていたんじゃないんだ。東アジア全体を欧米列強の支配から解き放たれる為の大義名分さ。色々解釈はあるだろけど、私はそう信じてる。そして…ひろちゃんならきっとそれをやる。女政治家となってアジアを平和にする。それを信じて疑わなかったよ」
夢を語り合う年端もゆかぬ子供達。どこで集まり話し合ったのかは知らないが、私の頭の中では浜茄子の花咲く緑地と隣り合った浜辺で、陸上げした船の甲板で円陣を組んだ子供達を想像していた。
「戦況が日本にとって厳しくなってきている事は、大人達やその話を聞いた誰かの話で知っていた。沖縄で白兵戦が始まっただの、東京が空襲されただの、そして八月六日、広島に原爆が落とされて本当に大勢の人が一瞬で亡くなったと聞いたよ。今でこそあのキノコ雲の写真を見る事が出来るけど、あの頃は話で聞いただけだろ?アメリカ軍が悪魔の兵器を落としたってね。
一瞬で犠牲になった人達…苦しんで死んでいった人達…死ぬにも死ねず、長い苦しみと生きてゆく事になった人達…私ゃ今でもあのキノコ雲の写真を見るとね、涙が止まらないね。
不条理な死はね、本当にいつ訪れるかわからないし、誰にでも言える事なの。美樹も、永介も。それはウィルスなのか、原爆なのかわからない。わかるはずはないよね。予告無しなんだから。サリンだろうと、津波だろうと、そして交通事故であろうとよ。
若いからと、けして油断してたらダメだからね。防げる物は防ぐ。でもね…私が一番言いたい事はそれじゃないの」
交通事故と聞いた時は利夫伯父さんの顔も浮かんだ。
それまで感嘆と共に傾聴していた私と永介は、心の隙を突かれた。「油断するな」という事が一番言いたい事ではない?
しかし答えを聞いて、やはり母らしいと納得せざるをえなかった。
「一番言いたい事はね…不条理だろうと何だろうと、死ぬ時は死ぬのよ。人間はね、その与えられた命の中で、いつ終わりが来てもいいように、やりたい事、やるべき事、やりなさいって事よ」
この女性(ひと)の娘に産まれて五十五年。本当にこの言葉を私は、何千回、何万回聞いてきただろう。
本当に母・朋子は、どこまで行っても朋子だ。
「ばぁちゃん、八月九日の長崎原爆の情報は聞かなかったの?」
永介の質問は、不意かもしれないが、率直で単純だった。私は広島の話に長崎も集約してると気にも留めなかったが、まぁ、その質問が来てもおかしくはない想定ではある。
だけど、母のまとう空気は明らかに一変して緊迫したように感じられた。
それは「長崎」に対しての反応ではない。「八月九日」という日付に対してだった。
〜本章 ③へ続く〜
文霊 〜フミダマ〜
言葉に言霊 文に文霊 ポエム、エッセイ、ドキュメント、ノベル… 長文に短文、そのジャンルに合わせて、 素敵な感性と叙情詩溢れる表現力を磨いて、豊かな文作能力を身に付けたい物です。 そんな表現能力向上委員会のページです。このブログは。
0コメント