Short Story【やまね雨】④

◆◆  本章 ③ ◆◆

母の話を全て一通り聴き終えて、あまりにも凄絶過ぎた悲劇に全身の力が完全に脱け切る。三人でしばらく沈黙を守っていた。

母の疲労感も尋常ではない様に見えた。
泣き腫らした後の目もどこか虚ろだった。部屋で休むと告げてリビングから去る母の背中は、まるで「すべてあんたらに語り継いだよ、これで思い残す事はない」とでも言ってるかの様で、このままもう会えないのではとさえ思えた。(思い残しがある、と最後には聞かされるのだが)

最初は茶化しながらいた永介も、すっかり口数が減っている。
私達親子は、夢でも見ていたのだろうか。

永介はリビングの床に両脚を伸ばし、両手も背中越しの床につき、呆然と天井を見上げていた。もしかすると彼も、その先に澱んだ雨雲が広がる虚空を見つめているのかもしれない。

「母さん…グッタリしちゃったよ…」

永介が言った。

「私もよ」

やまない雨。雨はやんでも、やまない雨。
母の心の中にだけ、七十五年間やまなかった雨。

母はその雨をやませる為に、人々に「やりたい事をやれ」と、惜しまず援助を続けてきたのかもしれない。
それが母なりのこの雨のやませ方であり、戦争犠牲者の供養であり、そうして心の中で浜茄子の花をずっと愛で続けていたのだ。

気がかりな事もある。
私達に打ち明けた事で、母の雨は更に土砂降りになったのではないか。

この話を知り、母から最後に宿題を突き付けられた私と永介は、その母の【やまね雨】を新型コロナ・ウィルスのパンデミックのこの時期に、どう向き合えというのか…《目に見えない何か》に試されている様な気がしてる。

「永介。お願いがあるの。あなたがそのスマホで録音していたこの話、母さん、もう一度最初から聴きたいの。私に送信できる?」

「え…マジ?…結構な時間だぜ。いいよ、スマホ預けるよ。どうせ俺に今は見られて困るよな用件のLINEも来ないしさ」

画面にバナーで表示される、新着メッセージなどのポップアップ通信の事を言っているのだろう。悪いが未だ同居してるとはいえ、自立した息子のプライベートなど今の私には興味はない。
だけどその時、私にゆっくり顔を向けた永介の顔には、涙を流した跡が残っていた。

「少し一人になりたいな。庭で外の空気でも吸ってるよ。再生が全部終わったら教えて。どうやらね、人のスマホも画面タップとかしない方がいいらしいよ。アルコールのウェットティッシュで画面をちゃんと拭いといてくれよ」

そう言って永介は立ち上がりマスクを顔にかけた。彼も何か思う事があるのだろう。テーブルにレコーダーアプリの再生をした自分のスマホを置いてくれた。

「中に入る時は本当によく手洗いやうがいをしてね。おばあちゃんも高齢なんだから、何かあってからじゃ遅いんだからね」

「わかってるよ」

背中を向けたまま永介はそう言って去り、リビングには私一人となった。

スマホからは先ほどの母の声が流れ出した。

「ん…どこからだっけ?」

「だから、テレワークで世の中変わるって話!」

そうか。最初はそんな話もしていたか。
すっかり母の八月九日以降の話が濃すぎて、母と話し出した  たかが一時間前の話題も忘却の彼方だった。まさかあんな話を聞かされるとは。

待てよ…待て待て、美樹。
この状況はまさしく母達の八月九日と似てやいやしないだろうか。まさしく今の私達の置かれている状況を示唆しているのではなかろうか。
これから、世界が変わる夜明け前のタイミング。

リビングで一人、録音していた母の話にまた耳を傾けた。
いや…違う。そうか、《目に見えない何か》の正体がわかった。
きっと今この場には、ひろちゃん、みねちゃん、利夫伯父さんに亡くなった祖父母の霊魂も揃っているのだ。
彼らは皆、私と永介が出す答えを待っている。

〜◆〜

八月九日…長崎にも原爆が投下された話も聞いたよ。でもそれは何日か経ってからだったんだ。

それまでは樺太の子供の私達は、どこか遠い地の出来事の様に聞いていた。戦争の実感が内地の人よりも欠けてたんだと思うよ。

でもこの日、長崎のニュースよりもね、とうとうソ連側が満州に南下し日本の領土を侵略した話の方が切実だった。
樺太も時間の問題だ。

わかるかい?樺太の北半分はソ連領土だと言ったろ?
樺太の日本軍も軍備を整え、町もにわかにざわめき出したんだよ。
多くの家庭が避難の準備も始めた。衣類や持てる財産を荷物にまとめ出した。
まさか自分達もソ連に攻められるなんて、そんな筈はないとタカを括る人達もいた。そいつらは決まって言った。不安になり過ぎだと。
また、ソ連が攻めてきたら…自分達も戦うまでだと言う者もいれば、その時に逃げればいいと言ってる者も。
本気だったのか、大口叩いただけなのかは今となっては知らないよ。まだ子供だった私にそんな事を判断する力なんてない。

ソ連軍に不穏な動き有りと言う事だけは、瞬く間に街中に広まっていた。
その日は学校から自宅へ戻り、待機するように指示が出た。
今と似てるね。こんな事態になると怯え過ぎる者、侮り過ぎな者、好き勝手言う者、色んな奴が現れるね、ホントに。混乱する大人の影響で、子供社会もその縮図さ。

ただね…美樹も永介もわからないだろ?
今の日本地図を見てみな。大陸の中で外国と隣接してる日本領土なんて無いじゃないか。

そりゃぁ日本も戦国時代は隣り合う敵藩と戦はしてたろう。でも今のあんた達は一つになった日本国だ。隣の県と戦うにしてもせいぜいスポーツの世界の話さ。
あの頃の日本はね、樺太も満州も朝鮮も…その島や陸の上に国境があったんだよ。
それも戦国時代とも違う。肌、髪、瞳の色も異なる違うまるで異国の人種がだ。差別じゃないよ。子供の私達の不安と緊張と言ったら…尋常じゃなかった。
平和は願うが、戦時中においての私には恐怖でしかなかったよ。

その日はね、ひろちゃんの学年の方が先に解散してて、彼女は私の教室まで迎えに来てくれた。
先生も とにかくお父さん、お母さんの言う事を聞いて、学校からまた連絡するから…そんな事をまくし立てながら話してたよ。
私は廊下で待っているひろちゃんの姿を見つけると一目散に駆け出し、二人で手を繋いで家路を急いだ。

沖縄が市街戦になり陥落した話、東京や主要な軍需工場のある街が空襲にあった話、色々と聞いているからね。私は走りながらひろちゃんに、「ここも沖縄みたいになんの?東京みたいになんの?」と涙を流しながら尋ねてたよ。
ひろちゃんは「わからない!静かにしてて!」と怒鳴ったけど、けして手は離さなかった。
景色は…いつも通りだった。それがやけに不気味にも思えたもんさ。
そして浜辺の道に出た。打ち寄せる波の潮騒もいつも通りだった。でも私は無性に悲しかった。

「ひろちゃん、少し歩こう」

私が言うと、ひろちゃんは気遣ってくれたのか合わせてくれた。手は繋いだまま。
私は大好きだった、浜茄子の花の咲き誇る風景を思い描いたよ。

「ひろちゃん、私、大きくなったらここさ食堂を建てたい。建てられんべか」

「うん、きっとともちゃんが大人になったら、世界の人もみんな仲良くなって、ここさ帰ってきて建てるといいべか」

「帰るって?やっぱ樺太を離れなきゃいけんの?」

「そうでしょ?今はね…世界中の人の頭、なまらおかしくなっちゃってんだよ」

「じゃあ、ひろちゃん、女の政治家んなって世の中平和にしてくれる?」

「うん、なるよ!ともちゃん!なまらすごい女政治家だべ」

「みよちゃんは学校の先生さなりてって。ちいちゃんはお医者さんさなりてぇって。みんななりたい仕事の大人になれる世の中だよ、ともちゃん」

「約束するよ!」

この期に及んでな、そんな夢の話をしてたんだ。いくら樺太の住民が戦争の実感足りないって言ってもね、こんな話は公然とは出来なかった。どこで誰が聞いてるかわからない。子供でも非国民扱いされるからね。
ひろちゃんといる時しか愚痴はこぼさなかったし、浜辺の道は潮騒の音が二人の声をかき消してくれる。本当にひろちゃんと二人だけの世界にいるようだった。
私は本当にひろちゃんを頼りにしてた。

〜◆〜

家に帰ると、お父さん以外はもう集まっていたの。お父さんは鉄道の仕事だったからね。人や物資の運搬とかね、戦局がどうなるかわかるギリギリまで現場にいなきゃならなかったんじゃぁないかな。

利夫兄さんは、そんな父がいない中、唯一の男手、父の代理として、母や私達の荷物まとめやら何やら手伝ってくれてたよ。
みえちゃんは裁縫の仕事で新しく縫ってくれた防空頭巾を私やひろちゃん、お母さんに渡してくれた。
本当に非常事態が近づいてるんだ…そう思ったね。

利夫兄さん…あぁ、もうまどろっこしいから、ここでの説明では「お兄ちゃん」と呼ばせてね。お兄ちゃんも頼もしく私達に言ってくれてたっけ。

「俺の会社でも今、情報集めに躍起になってる。
うちらは内地へ帰れるのかどうか。船は来るのかどうか。
公衆電話も今すぐ行けば、わやくちゃ (方言:めちゃくちゃの意味) 混んでるのは目に見えてる。とにかく落ち着くだぞ、みんな!」

「利夫…ありがとなぁ…」

「母さん、もし内地へ渡るとなったら、女子供と老人達が先だべ。母さんこそ、浩子や朋子んとこ、しっかり頼みます!みえちゃんも母ちゃんとこ、支えてやってくんせよ。父さんと必ず、後から行くから!必ずだ。今生の別れさはしねぇから!」

お兄ちゃんがそんな事をお母さんと話してた。きっとお兄ちゃんやみえちゃんは、仕事場でもっと具体的な今後の島民の動向を聞かされてたんだと思う。
そうでなければ、女・子供・老人が先に北海道へ発つ…私やひろちゃんはそこまで学校で聞かされてはいない。
町の人々も、北海道や本州で親戚だったり実家であったり、急に樺太から渡っても自分達家族の受け入れ先を探すのに苦労してたらしかったね。

急に胸が締め付けられてきた。
私達は突如、今までの家と暮らしを捨てなければいけない。父や兄ともひとときとは言え、別れなければならない。まだ「そうなりそうだ」と言う想定の段階だったけど、何もかもが突然過ぎて混乱してた。
ただ、皆、生き延びる為にテキパキと準備を進めた。そこはね、大人達がキビキビ動いてたら子供もね、メソメソばかりしてられないよ。

あぁ、だからね。あんた達には言ってなかったけど九年前、福島で原発事故があっただろ。
見る限り、街の景色は破壊も略奪も何も無い。だけど大勢の人が集団避難を余儀なくされた。
私ゃあの光景をテレビで見ている時は、樺太の当時を思い出して心が痛んだよ。この集団避難の中の子供達は、あの頃の私達みたいだとね。

話がそれちゃったね。
まぁ、樺太がざわつき出した日が八月九日だ。まだ何か起きた訳じゃない。ただその日を境に、明らかに街の空気は変わったね。

「ともちゃん、避難が始まったら、ずっと手を繋いでてあげっから、足手まといになっちゃダメだよ」

ひろちゃんは何度も私にそう言ってくれた。夜になって父も帰宅して、ま〜たひろちゃんがそれを言い出した時、みえちゃんが、
「何言ってんの、ひろちゃん。私からすればあんたも同じよ」
そう言った。
両親とお兄ちゃんがそれを見て笑った。ひろちゃんもね、言ってみりゃまだ子供さ。今思えばあどけないよ。間接的に両親やみえちゃんに「私は妹の面倒見がいいでしょ」とアピールしたかったんだろね。
家族揃って樺太で笑ったのはそれが最後だったと思う。

それが私の八月九日よ。
同じ頃には長崎で大勢の人が涙を流してたろから、不謹慎と言えばそうなんだけど。
何だい?永介。拍子抜けしたかい?敵が攻めてくる日とでも思ったかい?

そうそう、脱線ついでに話させとくれよ。美樹、ほら何ていったっけ?あの三船敏郎の娘と結婚してた男の人。あの人が昔、バンドで唄ってた歌。
♪何でもない様な事が 幸せだったと思う 何でもない夜の事 二度とは戻れない夜…ってやつさ。
私ゃ、弱いんだよ、あの歌にゃね。思いだすのが家族のその場面なのさ。

八月十日。ソ連軍の満州侵略から一夜経って、少し落ち着きを取り戻した様には見えてた。それは子供目線でね。
実際には大人の人達は銀行に行ってたり、本土へ発つ船の情報を集めに走り回ったり、なんとか本土の実家や親戚宅へ疎開先の確保の連絡を取ろうとしたり、苦労は続いてたらしいよ。

私は身の回りの整理を済ませた後、何をすればいいかもわからずにね、ブラリとあの浜辺へ出かけた。
空は青くて陽射しはジリジリ、遠くの入道雲はモクモクと見えててね。夏真っ盛りだったよ。
浜茄子の花はとっくに終わってたけどさ、その日もそこに膝を抱えて座り込み、水平線をただ眺めていたの。

「何してるの?」

背中にかかる声を聞いて振り向いたの。ひろちゃんがいたんだよ。私の姿が見えなくなったけど、心当たりにドンピシャだなんて、私も単細胞な人間よね。
私は、この海の向こうからソ連軍は来るのかなぁ…それより平和な世の中が来ないかなあ…なんて事を考えてたよ、と教えたの。
ひろちゃんは言ってくれた。

「ともちゃん。今は大変な時期だけどね…きっとあんな大変な時期もあったね〜と振り返る時が来るよ。
世界中の人が仲良く暮らす時代でね、みんなが命を無駄にする事なくね、やりたい事をやってもっと良くしてくの。
だから、それまで頑張ろ!」

「うん」

「さ、手を繋いでお家に帰ろ!」

ひろちゃんは手を差し伸べてくれた。思い返せばいつも手を差し伸べてくれてた。私が思い出すひろちゃんは、いつも笑顔で「ともちゃん!」と呼んで私に手を差し伸べてくれていた。
そんな優しい姉だったの。

そしてまた一晩明けた。八月十一日。
ソ連軍は満州に引き続き、ついに日本領土の南樺太へも侵攻を開始したの。国境付近で日本軍と戦闘が始まった。

〜本章 ④へ続く〜






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文霊 〜フミダマ〜

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