Short Story 【苦痛】 〜麻友子と瑠美〜 ⑥

坂上親娘が待ち合わせ場所の貸会議室に着くと、そこには二人の男の人影があった。
五階にある部屋の窓から、外の人の往来を見下ろしながら会話をしている。

「川島、今日は世話になる」

「お、着いたか」

口火を切った達郎に気付き、二人の男性は振り向いた。
そこには麻友子もローカル・メディアでよく顔を見かける川島の顔がある。
ただ、達郎がこの地元の大物経営者である川島を呼び捨てに、そしていかにも対等の態度で接した驚きが緊張を凌駕した。

「紹介する。こちらが娘の麻友子だ。本当はこんな形ではなく引き継がせたかったんだがな」

達郎の紹介を受け、麻友子は名刺を川島に差し出しながら辞儀をする。

「いつも父がお世話になっております…この度は本当にご迷惑をおかけし…何と申し上げたら良いか…」

「初めましてだね、麻友子さん。お世話になってるのはこちらの方だよ。堅い挨拶は抜きでゆこう。先方もそろそろお見えになる」

「では社長、僕もそろそろ…」

もう一人の男性が口を挟んだ。川島の連れらしい。紳士的な好印象を抱かせる男性だが、麻友子にはそれを考えている余裕はなかった。

「おぉ、そうだな。帰る前に紹介だけしておきましょう。麻友子さん、こいつはウチの長男の賢一です」

「坂上麻友子さんとは初めましてですね。今日は社長とギリギリまで打ち合わせねばならない事があり、ここまで来ました。まだ帰社してやらねばならぬ事もあり、失礼致しますね」

川島賢一は達郎とは面識があるのだろう。麻友子に真っ直ぐ歩み寄り名刺を交換し合った。賢一の名刺を差し出す所作に、堂に入った美しさを感じた。続いて、賢一の手は流れる様にジャケットの内ポケットへ運ばれ、封筒を取り出した。

「株式会社 川島モータース 取締役常務 川島 賢一」
麻友子は名刺の役職を見て、深い気恥ずかしさと後悔が沸いた。自分が誤って加藤に手紙を届けさせた川島モータース常務の姿がそこにある。同時に、手紙の内容はおそらく賢一から川島へ、そして達郎へと伝わったのだろうと推測しこの話の運びに至るすべてを理解した。

賢一は麻友子に封筒を手渡した。

「これはお返しします。お互い『川』で始まる類似した姓とはいえ、手紙の渡し違いとはご職業柄からいっても致命的なミスでしたね。
御社の加藤さんがコレを私に…と持ってきた時は何だろうと思いましたし、実際に読んでも私には身の覚えはなかった。
ただ…申し訳なかったのですが、父があなた方親子の事を常日頃からとても気にかけてるのは知っていましたので、父には相談させて頂いてました」

川島が私達親子を気にかけている?一体、達郎と川島の間にはどの様な過去があるというのだろう。一抹の好奇心も湧くが今、それを問う事は憚れる思いに立ち返る。

「キツい事を承知で申し上げますが、私には人のゴシップには興味もない上、関わろうとも思いません。ですので、けして他言は致しませぬゆえ、そこだけはどうぞご安心を」

賢一はそう言うと踵を返した。

「おっと、こんな時間だ。では、皆さん、失礼致します」

賢一は丁寧に挨拶をし、貸会議室から去っていった。賢一の言葉の一つ一つに、麻友子の心には幾つもの刺し傷を残された。抜け殻になりかけた。
だが気を抜いている場合ではない。達郎が言った「戦場」の通り、これからが本番だ。しかも戦うまでもなく、負ける事もわかっている。自分はただ裁きを受けるだけだ。

「倅は何か失礼な事は言ってませんでしたか?」

川島が麻友子の背に話しかけてきた。麻友子は賢一から受け取った封筒をバッグへ隠しつつ振り返り、あらためて川島と対峙する。

「いえ…むしろ自分のいい加減さを正して頂いたよな思いです。とても優秀な方とお見受けします。
あの…本当に今日はお忙しい中、恐縮なのですが…何故こうまでして頂けるのかわからなくて、戸惑っております」

「麻友子さん、勘違いはしないで欲しい。私は貴方にとって都合良く円満に片付けるとは限らないだろう。川崎さんとは私も会話したが、あの人もなかなか見所のある経営者でしたぞ」

返す言葉もなかった。この間、達郎も沈黙を守っている。

「少なくともあなたは、お父さんの功績に泥を塗った」

達郎に訳も分からず連れてこられるまま、ここへ来た。もちろん、何故に川島がこの件にここまで関与しようているのかも。ただ、もしかすると川島が味方となるのではという淡い期待も芽生えていた事も否めない。
期待は砕けた。ますます自分はどうすればいいのか、この先に何が待っているのか分からなくなった。

貸会議室外の通路から、ヒールの足音が響いてくる。その音は部屋に近づくに連れて大きくなり、そして扉の前で立ち止まる気配があった。

扉が開いた。瑠美は静かに入室し、一同を見渡してから手短かに言った。

「お待たせしたようですね」

麻友子は自分の体が再び凍りついてゆくのがわかった。

〜◆〜

「川島社長、この度は突然のお電話を頂けました事、誠に感謝致します。あらためましてお初にお目にかかります。川崎です」

言いながら瑠美は名刺を出し、川島と交わし合った。

「いや、川崎さん。こちらこそ、急なお呼びたてに無理を聞いて頂き、こちらこそ礼を言わせて下さい。ありがとうございます」

「ご存知の通り代表に就任し立てでして、名刺の役職はまだ『専務』のままですが、いずれ新しい名刺が出来ましたなら、日をあらためてご挨拶に伺わせて下さい」

瑠美は川島と向き合っている間、坂上親娘には一度も視線を配らなかった。

「出来る事でしたら、こんな形ではなくお近付きになりたかったですけどね」  

皮肉が鋭利な刃物となって場の空気を切り裂く。瑠美は体を坂上親娘へ向け直した。達郎は静かに麻友子の隣に歩み寄って並ぶ。

「川崎社長。いつもお世話になっていながらこの度は、娘の犯した過ち、そしてお客様への裏切り…けして許されぬ事ではありますが…」

達郎がそこまで言うと体勢を下げ床に膝を付いた。視界にその動きを察した麻友子も、達郎が土下座の謝罪をするつもりだと読んで、床に膝を付く。
案の定、達郎は土下座をし、麻友子も続いた。

「誠に…誠に…申し訳ございませんでした」

達郎の声が部屋の中によく通る。だが麻友子は姿勢こそ土下座のままだが、胸が詰まり声を出せずにいた。

会計士は監査業務ばかりではない。顧問先の経営や財務のコンサルティング業務も請け負う。麻友子はそんな達郎もそばでずっと見てきた。数多くの経営者達を、その豊富な知識と経験で、堂々と本質を見抜く目と哲学で、手腕を発揮している姿を誇らしく見ていた。
父親…そして尊敬する経営者の達郎はこんな事をしていい人物ではない。こんな屈辱感を味わせてしまった自らへの罪を呪いたかった。

瑠美は十秒程の時間、ただ見下ろすだけだった。これには川島も何も言葉を発しなかった。麻友子は目を閉じている。もう一時間もそうしている様な気がした。

「そんな安い頭下げられても、私の気が済む訳はないじゃない。父兄同伴の昼ドラ劇団かしら。顔を上げなさいよ」

瑠美は冷淡に言った。それでも動じぬ坂上親娘を見て瑠美は更に繰り返した。

「上げなさい」

床に額を付けているか程の達郎が頭を少し浮かせ、徐々に肘を伸ばす。麻友子もその動作を確認して体を起こした。

「まったく情け無い。同伴保護者にばかり話させて、当事者本人は何も言う事はないのかしら」

瑠美はバッグをテーブルに置き、腕を組んだ姿勢で達郎に話し出した。

「坂上社長、あなたは会計事務所の代表として所属会計士の不始末をこうしてお詫びに来る事は当然でしょう。でも同時に父親でもある。今回、娘さんには本当に幻滅させられましたわ。確かに麻友子さんにはお父様に相談なさいとは言いましたけど、川島社長まで巻き込んでこんな場を設けて、坂上社長自らの謝罪の場面を見させられるなど思いもしませんでしたわ」

達郎は俯き、唇を結んで聞いている。瑠美はそのまま川島を振り返る。

「川島社長、さてこれからどうするのでしょう?ずっとこのまま『すみません』『許さない』を繰り返すだけかしら。時間の無駄でしかないと思いますが?
皆さんにもお伝えしておきますが、皆さんがどういう経緯があって結託を組んでるのか、私の知る由でもなく関心もありません。ここがアウェーだろうと私はその女性をけして許すつもりはありませんので悪しからずです」

言い切る瑠美の言葉に、麻友子はあらためて達郎が言った「戦場」のキーワードが再び脳裏に蘇る。そして実際に幕を開けた事を実感していた。

川島が切り出す。

「川崎社長、お電話でもお伝えしましたが、今日の私はファシリテーターと思って頂いて結構。けしてアウェーだなどと思わないで頂きたい。
川崎社長の仰る通り、このままでは話も進まない。さ、坂上も麻友子さんも立ちなさい。
この部屋を借りてる時間も迫るだけだ。どうかここからは着座して話してゆく事を、川崎社長にもご了承頂きたい」

「わかりました」瑠美がまず答え、達郎、麻友子も順に従い椅子に腰をかけた。
必然的に瑠美と坂上親娘が対面する位置となり、川島は中央正面に座る。
麻友子は法廷ドラマの場面を思い出していた。正面に裁判長、向かい合う原告と被告。しかしこれは公式ではないにせよ、紛れもない自分を裁く裁判だ。

川島は瑠美に尋ねた。

「川崎さんはやはり今日はお一人で来られましたね。弁護士さんとは何かお話しされてきましたか?」

「今日は弁護士とは話さずに来ました。今日の話し合い如何によってで良いと思ってましたので」

「そうですか。その弁護士さんは会社で顧問契約をされてる方でしたか?」

「うちみたいな中小規模の会社では、顧問弁護士など抱えてはいませんわ。そりゃ、川島社長からすれば法的な問題を軽視してると言われても仕方ありませんが。そんな事に直面した事もありませんでしたし、正直そんな出費の余裕はありません。
それに、弁護士さんにも得意な分野はそれぞれいらっしゃいますでしょう?その道の得意な弁護士さんを今回動いてもらった探偵業者の方に紹介頂きました」

会話を聞いている間、麻友子はますます暗鬱に陥ってゆく。会話はすべて、自分と佑志の行いをさらけ出す為にどれだけの人間が動いていたのか。それらすべてを金勘定の話をしているように聞こえていた。
一時の快楽に溺れる事が、どれだけ深い闇へ引きずり込まれる事か、そして自分がこれ程までに弱い人間かを思い知っていた。
川島は頷きながら傾聴し、一呼吸の間を置いて再び話し出した。

「わかりました。では、本来であればまずは坂上から切り出す所、僭越ながら私から示談の提案をさせて頂きたいと思います。
くどい様ですが私はファシリテーターと申しましたが、多少の老人の老婆心ながらのアドバイスも加わるであろう事はご容赦頂きたい。私も時間を裂いてここにいる訳ですしね。ただ、けして坂上の肩だけを持つつもりはない。麻友子さんは…それだけの過ちも犯したんだ。然るべき償いは背負うべきだとは私も認めます。
その上で、川崎社長さんにとってもベストとなる提示をさせたいと思います。
こんな示談依頼など、当事者側の坂上の方からは切り出しにくい事ですから、今日の私がここにいる様な物です」

「川島社長のお立場は聞いて安心しましたわ。でもそれは内容とは別の話です」

「ええ、仰る通りです。さて…限られた時間ですので、双方とも進行してよろしいでしょうか?」

瑠美は「どうぞ」と返事をし、達郎も黙って頷いた。麻友子も神妙に頷いた。何一つ、言葉を出せずにいたままだ。
川島の表情が厳しさを纏った。部屋の温度が2〜3度下がった様に感じた。

「では…本来は坂上から切り出すであろう事ですが、第三者から述べた方が良い事もある。彼も一度は謝罪の意は見せた訳ですし、時間の無駄を省く為にもまずは私から述べさせて頂きます」

川島がこうして場を支配してしまう運び方は流石と言えた。麻友子も瑠美も次の言葉を待った。

「川崎社長、様々な感情は理解する。それでもご家族の事、今後あなたが会社を健全に経営してゆく事などを広く鑑み、やはり離婚は回避すべきと考えております。
その上でご主人と相手の関係の継続を断つ為に、今後の関係再発を牽制する為にも、あなたの精神的苦痛の代償に相手に慰謝料を請求するのは当然の権利だ」

瑠美の口元には薄い笑みが浮かんだ様に見えた。対照に麻友子は川島の一言一言が、頭をハンマーで打たれるよな衝撃で響いている。もうこれだけで「判決文」を読み上げられている気分になった。

「その上で慰謝料の金額面の話です。
通常、離婚しない場合に相手に請求する慰謝料の相場は五十万円から百万円です」

そこで瑠美の表情が曇り出した。

「だが今回は坂上会計事務所が川崎電設さんに依頼され会計監査を請け負う立場でありながらの、重大な背任と違約の行為でもあると判断し、相場の二倍、二百万円、加えて探偵業者や弁護士さんへの相談料などの実費を川崎社長へお支払いさせたく考えます。当然、これは坂上の同意もあります」

瑠美は突然、テーブルを激しく叩きつけ、その反動も利用するかの様に立ち上がった。その目には憤慨の炎で激っていた。

「冗談じゃないわ!何ですか!その金額は!」

「不服ですか?」

「川島社長、不服も何も!安く見られた物だと憤りを感じえません!」

テーブルに両手を付き、前傾する瑠美は全身でその怒りを表している。そしてその手は怒りで震えていた。

〜◆〜

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文霊 〜フミダマ〜

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