◆◆ 本章 ④ ◆◆
八月十一日。満州に続き、樺太日本領土へもソ連軍は侵攻。国境付近で日本軍も抗戦し戦闘。
日ソ中立条約は破られ、樺太の私達にすればとうとう開戦してしまったかという気分だよ。
日本は原爆を二つも落とされてるだろ?もうね…子供の私達にも敗色濃く感じていたさ。正直、今になって始まるのか?とも思ってたよ。私やひろちゃんは内心、平和主義者だったからね。
それから大人の人達は奔走してた。
早く逃げ出したくてパニックになる人達。もう駄目だ、終わりだと諦める人達。冷静な人達。兵隊さんと一緒になって戦うと言い出す人達。
漁師さんも多かったからね、人情も血の気も多かったのよ。いや、笑い事じゃなくてさ。
実はこの時から既に、南の港町・大泊から北海道の稚内へ疎開船は引き揚げ住民をね、一〜二往復は輸送してたみたいだったのよ。
後から知った話だよ。その事を最初はお金持ちは違うなぁと思ったけど、でもけしてそればかりという訳ではなかったんだ。
お金持ちなんてあの時代、本当に一握りよ。戦時中も穏やかで心のいい人達ばかりの土地だったけど、みんな生きるのに精一杯だった事は樺太も本土と変わらない。
要はお金持ちより情報持ち。そして準備をしていて、その時が来たらすぐ動ける人達だね。
危機感は日増しに増えてった。住民の動きもね。鉄道会社の父は休む事なく働きづくめ。母は家の事をまとめて、みえちゃんやお兄ちゃんもサポートしてた。私やひろちゃんも出来る手伝いは何でもしたよ。
人の動きを除いては街も海も、炎天下から見上げる夏空も、普段と何も変わらなかった。
つい不安をひろちゃんに打ち明けもしたんだ。ひろちゃん以外には、頑張ってる大人達には言えなかった。
「ひろちゃん、本当に樺太も戦争になるのかな」
「わからないよ。でもね、ともちゃん、私達家族はいつまでもみんな一緒だからね。頑張って乗り越えようね」
ありがたかったよ…
そうこうしてる内にね、家にも人の訪問がポツリポツリと増えてきた。最初は大人達から…みえちゃんやお兄ちゃんを、そして私やひろちゃんの同級生達も。
みんな、「樺太は終わりだ、樺太庁の大津長官からも全島民の避難指示が出るのも時間の問題だ」そんな空気の中、島から引き揚げて本土で世話になる実家や親戚宅の連絡先を交換しに来たんだ。
あの頃はもちろん携帯電話などない。遠くの人に会うにももっぱら手紙さ。手紙で何日に会いに行っていいか? そして先方から「いいよ」の返事が来てやっと会いに行く…そんな時代だよ。
いつの時代も人との繋がりはありがたいもんさ。
ちなみに…私が永介からFacebookを教わったのはね、もし当時の樺太を知ってる人でFacebookをやってる人がいたら繋がりたかったからなんだよ。出来る事なら…その頃の友達とかね。
そんな連絡先の交換をした所でさ…みんな離れ離れになってしまったからね。
そう、永介。実はばぁちゃんがFacebookをやりたかったのは、そういう訳だったんだ。
本当に便利な時代になったものだよ。あの時代に携帯電話やそんな物があれば良かったのに…
でも何せ高齢だろ?私がFacebookを使えるだけでも奇跡なんだ。なかなか当時を知ってる人とは繋がらないね。遺族とか戦争の歴史を研究してる人ばかりだったよ。
だけど一人だけ…本当に一人だけ。札幌に住んでいるという、当時を知る人と繋がったんだ。あの樺太を共有する人と。
聞けば樺太で住んでいた町も隣だった。浜茄子の花咲く浜辺も知っていた。何よりも…本土へ引き揚げる同じ船に乗っていたんだ。後で聞かせるけどね、その事に大きな意味があったんだ。
嬉しかったねぇ。パソコンの画面、その人の文字を見ているだけで涙が止まらなかった。
生きててくれてありがとう。
Facebookを使えるくらい元気でいてありがとう。
私と…繋がってくれてありがとう。
だけどね、それは束の間だった。
その人の投稿も個別の通信も、ほどなく途絶えたんだ。
渡辺さんって人だったんだけどね、気になり出して数日後。渡辺さんのタイムラインには、誰かからの
「渡辺さん、ご冥福をお祈りします。安らかにお眠り下さい」
という投稿があった。
また一人…戦争を知る人が去っていったんだ。
〜◆〜
話は戻るよ。
休校中だったんだけど、大事な話があるから島に残る全生徒は午前中に学校に集まるように、と連絡が来た。保護者も集まれるなら集まるようにと。いつもの様に、暑い夏だった。
八月十五日だ。もう何の日かわかるね?
正午前には校庭にみんな整列していた。天皇陛下からの直々の玉音放送だよ。正面にはラジオが置かれ、誰一人言葉を発する者はいなかった。
「朕 深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ 非常ノ措置ヲ以テ時局ノ収拾セムト欲シ 茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク」
みんな声を忍ばせ泣いていたよ。
日本はポツダム宣言を受諾し、無条件降伏の意思を国民に示された瞬間だった。アメリカ、イギリスなどの連合軍との戦争が終結したのさ。日本の敗戦をもってね。
二人とも、解せない顔をしてるね。そう、その通り。話はこれで終わらない。
アメリカやイギリスとの戦争が終わっただけさ。満州や樺太にとっては、つい数日前、ソ連との戦争が始まったばかりだったんだよ。
二人にはどういう事か、もう少し背景を知る必要があるね。
太平洋戦争末期、日本は関東軍も中国配置の軍も、ほとんどの戦力は南海戦線に引き抜かれていたんだ。
ところがその南方もことごとく撃破され、本土への空襲も激化し、そして八月六日、九日と立て続けに原爆を落とされた。
確かにそれは、日本に降伏を決意させた決定的な理由だろうよ。
八月九日までソ連軍は満州も樺太も侵攻してこなかっただろ?それまでソ連は日本に対して中立国だったんだ。ヨーロッパ戦線ではドイツ軍と戦っていたけどね。
私の学校には居なかったが、樺太にゃ日本人、ロシア人、朝鮮人の子供達も通ってた学校があったくらいだからね。だから私だってロシア人を見かけたこと事がないわけじゃない。
そういえば、例の浜茄子の浜辺で、よそから来てたロシア人の親子を見かけた事もあったね。あの子供も覚えているよ。綺麗な銀色の瞳、透き通る肌…天使みたいだなぁと思ってた。
あぁ、話がつい脱線しちゃうね。ばぁちゃんだからあれこれ話したくなるのは許しておくれよ。
とにかく日本は…むしろ和平交渉の仲介をソ連に期待してたのが本音だよ。
それが戦争も本当に末期の末期になって、ソ連は日ソ中立条約を破って日本に宣戦布告し、攻めてきたんだ。兵力の手薄になった満州や樺太に。
日本軍にもうまともにソ連軍と戦う力もないだろう?
南方の陥落、原爆の投下、本土はもはやまる裸。
それら決定的な降伏理由に加え、ソ連軍侵攻は仲介の期待が瓦解したトドメ。
ボクシングで倒した相手にね、馬乗りになって殴り続ける様なもんだと言えばわかるかい。
八月十九日。ついにソ連軍は日本領土・南樺太の西側に位置する真岡町に上陸目前と言われてたんだよ。
当時、子供だった私やひろちゃんには難しい事はさっぱりわからない。でも日本はもうこの時は降伏し、それを受けてアメリカやイギリスの連合軍も停戦したし、もう二度と日本軍も攻撃を仕掛ける事は出来なくなった。「降伏」と言ってから攻撃するのは後出しジャンケンと同じだろ?
でも最低限、自衛の戦闘だけはしなきゃならない。最低限もいいとこさ。兵力が既に最低限なんだから。後出しジャンケンされたのは日本だよ。弱り目にたたり目さ。
あの天使の様なロシア人のご両親も、こんな卑怯な人達と同じ人種かと思うと、本当に悲しかった。
両親や年の離れたみえちゃんの前ではメソメソばかり出来ないからね。泣き言はひろちゃんの前でだけ、その時もこぼしてたよ。
「ひろちゃん、戦争は終わったんじゃないの?なんで樺太はいつまでも戦争が終わらないの?」
泣き続けてたよ。じわじわと近づいてくるソ連軍が怖かった。
ひろちゃんは、わからない、わからないと私の質問を躱してたけど、あまりに私がしつこくて最後には怒られたっけ。
「ともちゃん!うるさい!とにかく今はお父さんやお母さんの言う事聞いて、乗り切るしかないの!」
そう、泣いている場合じゃなかった。
樺太の女性全員と十六歳未満の男児、いわゆる婦女子さ。それと老人は全員、北海道へ避難する命令が出た。
お父さんとお兄ちゃんは樺太に残らねばならず、家族は離ればなれになる事が決まったの。
それもとても寂しく悲しかったけど、お母さんはもっと悲しいはずなのに、とても気丈に頑張り続けた。だからこそ私もメソメソしてばかりはいられない。
大泊の港から二十日の早朝、出港が決まってた。
友達との本土へ引き揚げてからの連絡先の交換もいよいよ佳境よ。
学校の教師になりたいみよちゃん、お医者さんになりたいちぃちゃん。ひろちゃんと同級の二人が揃って私とひろちゃんに会いに来た。
二人は私達と乗る船は別々だった。私達家族は母の実家に行く事になっていて、その住所はひろちゃんが二人に渡してくれた。
みよちゃんが言った。
「ひろちゃん、ともちゃん、ちぃちゃん、絶対にまた会うべな!みんなバラバラになっちまうけど、必ず再会すんだからな!」
「うん、うん、みよちゃんもちぃちゃんも、元気でな!」
ひろちゃんも泣いてた。
「みよちゃん、ちぃちゃん、今まで面倒見てくれてありがと。次に会う時は、二人に負けないくらい私も背丈は大きくなってんかんね」
「うん、ともちゃん、楽しみにしてるべ!」
「したっけね〜」
「したっけ〜!」
北の言葉で「さよなら」って意味だよ。そう言って別れた。二人の背中を見送って私とひろちゃんは泣いた。あぁ、その時はみえちゃんが私達二人を慰めてくれたっけ。
そうして友達と別れたものの、まだ私は怯えてた。
十九日のソ連軍の南樺太上陸の秒読み開始。二十日の避難船の出港。どちらが先かと怯えてた。
この時間、何事もない事を祈った。
長い時間に思えたよ。
〜本章 ⑤に続く〜
文霊 〜フミダマ〜
言葉に言霊 文に文霊 ポエム、エッセイ、ドキュメント、ノベル… 長文に短文、そのジャンルに合わせて、 素敵な感性と叙情詩溢れる表現力を磨いて、豊かな文作能力を身に付けたい物です。 そんな表現能力向上委員会のページです。このブログは。
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